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木魚屋






























 食虫植物ズというノイズバンドでいつも弦の足りていないギターに傷を付けたり付けられたりしていた彼女が今日のライヴ中に死んだ。おれは隣で彼女が作詞した「子宮なんかいらない」を叫びながらベースアンプに頭突きすることに夢中で全く気が付かなくて、曲が終わってもずっとギュキギュキ鳴るものがあったからまた弦が喉に刺さって抜けなくなったのかと彼女の方を見たら四フレット辺りを噛み締めたまま失神していた。右眼だけ真ッ白で綺麗でおれは自分の額から垂れた血が眼に入るまで痙攣する彼女の白いつるつるの眼球に魅入っていた。
 十五人ほどの客がみんな引いた後、天井の低くてやたらでかい柱が邪魔な控室に戻って彼女を何度か揺さぶったがピンク色の泡立った唾液を口の端から零すだけで右の眼は相変わらず白いままだった。こりゃ死んじまったなとかこれからバンドどうしようかとかとりあえず明日のライヴでは木魚使おうとか考えながら、半裸の彼女とギターとベースを背負ってライヴハウスから地上へ出る暗い階段を上った。
 途中ふら付いて歯を折って、外に出ると吹雪で住んでいるアパートまで行くには電車に乗らなければいけなかったし駅までは遠かったしポケットには自分の歯と二百八十円しか入っていないしそもそも今が何時で終電が何時だったかもわからなかった。何より寒いのがいけなかった。
 路地に入ったがまだ寒かった。死んでいるのか死にかけているのか死にたがっているのか判断できない外灯が数メートル置きにゆらゆら立っていて下を見ていて、それ以外に光源の無い暗い路だった。そこで初めて自分の息が白いのに気付いて、まるで冷気を吐き出すマシンの心地だった。積もった雪が足の裏でゆでキャベツのような音を立てていて気色がわるかった。拷問器具に抱かれているような寒さ、こいつらも金属だな。右足のブーツの先の剥がれたソールの隙間に空いている穴から恐ろしく冷たいマムシか何かが潜り込んできていて牙を立ててぎゅっと噛み付いて白濁の毒を指先に流し込んでいるが、彼女の好きな「局部麻酔少女図」という食虫植物ズの歌を歌いながら堪えて歩いた。ジュークボックスと冷凍庫のあいのこ。キャベツ畑を冷たいマシンが行くぜ。
 腹が減った。野良猫の鳴き声がして、立ち止まるともうだめだった。黒々に固まってしまいそうで、ギロチンめいた風がよく効く。彼女の長い黒い髪を首元に巻き付けるが微塵もあったかくない。
 野良猫の姿は見当たらなかったから替わりに雪を掬って二三口食らい、回転しながら立ち小便をして、ここからここまでおれの陣地、その歪な領域の中にギターとベースを並べて置いた寝台。彼女をその上に横たわらせ、おれもそこへ覆いかぶさって寝ようかとして、小便ではなく水の腐ったにおいがする。頭上を見ると青いブリキの看板に掠れたクリーム色のペンキで「魚屋ハッピーハッピー」と書いてあった。
 シャッターを叩いた。四十回くらい叩いて音沙汰が無く、右肩に担いでいたベースを振り上げて、振り下ろしたら、シャッターに裂け目が走った。ネックを握り締める手のあかぎれの肉の中に回転ノコギリじみた砕氷が入り込んできていておれはカーニヴァルのように叫びながら何度もベースを振り下ろした。最初缶切りの要領で徐々に穴を拡げようとしていたのだが途中から歪み始めて綺麗な円にはならなくなったので無茶苦茶に振り回していたらシャッター以外のものに当たったらしくベースが折れ、おれはよろめいて雪の上に倒れた。
 鼻水をすすって起き上がるとすぐ側で店主らしき老人の頭蓋が割れていてそこからやわらかな湯気が立ち昇っているのが見えた。大根おろし器のようになっている手先を老店主の蒸気にかざして血を通わせた後、再び彼女を抱えギターを背負いベースを引き摺って店の中に入った。
 菌類細菌類微生物だらけのにおいが店のコンクリートの床の上に沈殿してひしめいている。血の通ってない蛍光灯の下、何か食べる物は、と思ったが真ッ緑の水槽が幾つかヴィーと唸っているだけで魚らしい魚は見当たらない。側面を油絵の具で緑く塗りつぶしてあるかと思うほど藻のこびり付いた水槽の一つを覘き込むとシマシマの小さい魚がびっしり浮いていてワニの内臓のような悪臭が鼻を突いた。
 ハハンここ魚屋で無しに熱帯魚の類を売るペットショップかと、絶望的な笑いが込み上げてきてウフッて声が漏れてそのウフッの響き方が妙に啓示的で、このモーター音に似た懊悩から解脱させてくれるような厳めしさすら感じられてしばらくおれは彼女を抱きながらウフッを連発していた。
 それにも飽きた。胃が痛くなってきた。店の奥はそのまま住居になっているらしく、戸を開けると廊下の向こうに障子が見えた。中は居間とひと続きになっている厨で、ブーツのまま上がり込むと床板が軋んだ。電灯をつけたかったが何度ヒモをカチカチしてもつかないのでいったん彼女をちゃぶ台の上におろし、無心で流しの傍にある冷蔵庫の扉に手をかけた。開けた途端、夥しい量の、ちぎれたゆで麺のような蟲とその死骸が糸を引きながらなだれ落ちてきて足元に積もり、土と肉の混じった茶色いにおい、扉を閉めようにも隙間にスジコのようになった蟲の塊があってぶよぶよと反発するで諦めて退避することにした。
 暗くてよくは見えなかったが、改めて目をやるとコンロには発酵物の溢れ出ている鍋とフライパン、流しには黒カビが蔓延していて、口にできそうなものは何一つ無く、寒気と悪臭で空きっ腹は収縮しねじれていくばかりでおれは口腔内に圧搾されて出てきた黄色い胃液をこの台所に渦巻く不穏な巴の中へ吐き付けるくらいしかできなかった。咽喉の奥から空気の抜けるようなエエエッという音がして後には唾液も出てこない。一体あの老店主はどうやって生活していたのだ、はじめから死んでいたのではないか、と考えてから背負いなおした彼女の指を二三本噛み締め、流しの下にあった包丁だけを手に取って居間へ移動した。
 仏壇の前に座し、裏返して置いたギターとベースのまな板、彼女を仰向きに横たわらせて下腹部に包丁を突き立てる。肉がきれいだ。暗くてもおれにはわかる。血が水彩絵の具みたいに滑って拡がって絶対きれいだ。彼女の足を開いて、性器の少し上の箇所のあたらしい穴にくちづけをする。子宮は薔薇色に震えているに違いない。
 引っこ抜いた眼球がライチに見えてきてとても愛おしかった。白く発光していて滴る液体からはいいにおいがする。二つ頬張って噛むと、網膜がやぶれてとろとろの硝子体が溢れて口の中がいっぱいになった。舌先をちろちろ動かすと水晶体が歯茎と下唇の隙間でぬめった。空っぽの眼窩に中指を刺し入れ彼女の頭の中をまさぐる。グルグルの脳みそ、爪の間に挟まったネバネバのカスみたいなのを舐め取ってまた眼窩の穴を拡げる。涙骨は窮屈だったが指先を髄膜に食い込ませ、やわらかい部分を掴まえて引き摺り出した赤黒い脳みそに吸い付くと多幸感に満たされた。射精していた。まったくいい女だった。
 彼女の小さな胸を眺めながら、血が冷えて固まってくるまで、あまりに穏やな、色つきの水を凍らせたようなカラフルで圧倒的な時間がすり抜けていくのを全身で感じていた。ライヴハウスのステージの上にいるときの感覚とも似ていたし、それとは全く対極にある気もした。水槽の向こう側を見るような心地だった。どっちが中でどっちが外かはもうどうでもよかった。ただガラスと水があってそこを透き通る光が屈折してさえいればよかった。
 仏壇を開くと木魚があった。ベースは折れてしまったしギターはもともと弦が足りていないのでいまのおれにはこれくらいしか弾ける楽器がなかった。凍えながら木魚を叩いた。彼女のつくった歌を叫びながら、もし夜が明けたらここで木魚屋をやろうと思った。木魚屋の食虫植物ズだ。木魚を叩く度にカミソリが舞うような耳鳴りがした。フォークやナイフが耳から脳へ刺さる音がしている。これはエレキ木魚なんだ。アンプは彼女の子宮。繋いでいるのはおれの精子。屈折して透き通って、向こう側にも伝わる。








































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