◆透明の容器のなかに、人間の男の裸体がひとつ、沈澱してある。くさった果実のような頭をぶらさげて、不安定にゆれ動いている。みずはわずかに濁っている。 舞台照明は全て落としてある。 硝子同士がぶつかり合って生じる硬質な音。カチカチ。 おんなの歌う声。 ◆ふやけた顔面から、なかばこぼれるくらいに突き出た眼球で、男は両の手をながめながら、物言いたげに顎を動かしている。口腔内にはなにもないが、咀嚼しているようにもみえる。 廊下から光。非常口の緑と警報機の赤。 理科室。フラスコやビーカー、シャーレ、メスシリンダーなどの入った戸棚が並んでいる。 白衣を纏った女がひとりで作業をしている。 口ずさんでいるのはブランキー・ジェット・シティのパープル・ジェリーだ。 ◆唐突に、男は首をふりはじめる。単におのれの否定意思をしめしているというよりも、なにか不可抗的な作用がはたらいているとしか思えないそぶりである。 詰襟の学ランを着た少年が通りかかり、女の姿を見つけ足をとめる。 女は背を向けたままでそれに気付かない。手元の試験管をふりながら、歌を歌っている。 少年、机の陰に隠れる。 ◆男は、投げ出した四肢を左右へひねっている。回転をつけ、狂人じみた勢いである。容器の中のみずに、ながれがあるのかもしれない。眼球がちぎれる。 女、手を止める。試験管を光に透かそうと、廊下の方へ身体を向ける。 それが少年の眼に留まる。 少年 あ ◆一瞬のうちだけ、運動がおだやかになる。が、間もなく、浮遊していく二つの眼球をもとめて、男は腕をのばし、水中を仰ぎはじめる。顔面には、大きな穴が三つひらいている。とても黒い。 女、口を閉じ、とっさに試験管を背に隠す。声の主を探す。 女 だれ 少年 先生、ぼくです、三年三組の 立ち上がる。 女 驚いたわ、一体どうしたの 少年 忘れ物をしてしまって 少年の手には文庫本が一冊ある。アントニイ・バージェスのクロックワーク・オレンジだ。 女 そう、見つけたのなら早く帰りなさい 少年 先生、それ、いったい何なんですか ◆水面付近に眼球が浮かんでいる。男はふたたび沈澱する。 女、困惑した表情をし、諦めたように少年から顔を背ける。少年は女の挙動をじっと見ている。 女 美しいものよ 少年 ぼくも見てもいいですか 少年、女の方へ近寄る。ひどい猫背で、上半身をほとんど動かさず、すり足で歩む。 女 あなたは、なにを目指しているの 少年、足を止める。沈黙。 ◆首がもげる。男はそれを大事そうにだきかかえる。膝をおりたたみ、球状になる。 少年 革命家です 女、声を出さずに笑う。 女 そう、わかったわ、こちらへ来なさい 身を翻す。 パープル・ジェリーがワンフレーズだけ歌われる。 ◆かかえていた顔がつぶれる。液状化した脳髄が放出し、眼球のある方へとしずかに向かう。 暗転。 二人の足音。カツカツ。ズ、ズ、ズ。 ◆みずは濁りを増す。 幕。 back |